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この数字の重さをわたしは語る言葉を持ちません。
あるところで体験を語って下さった方がおりまして。その文章を読んで、今日の夕方からしばらくいろんなことを考えました。何度か日記の編集画面を開いたりしたんですけど、やはりこれはわたしには(少なくとも今はまだ)語れないことなのだと思いました。それならば沈黙すべし、と言うことなんですけど、しかしこの、ちょっとでも考えたんだよ、ということを残しておきたいと思いました。もちろんただのエゴなんですけど。それも今の自分と言うことで。

大きな地震、その2・3年前だと思うんですけど夜中に地震があって起きたことがありました。奥尻の方だったと思います。部屋を出ると玄関の鉢植えが倒れていて、何だか驚いて、それでしばらく眠れなくて居間のソファで地震情報を流してるテレビの画面を眺めながら丸くなってたことを覚えています。結局自分の家への影響はその鉢植え程度でしかなく、生活はまったく普通に続いてたんですけど、島の海岸線が燃えている映像は連日繰り返されて、子供心に大変なことだと感じてたものです。それでもやはり自分のことではなくて。
そして10年前。これはまったくこちらには影響なくて、朝起きてみたら大変なことになっていたということで、まったくリアルな感じじゃなかった。せめて揺れたときでさえ、実際の被害は画面の中だったのですから、まして自分がその一端も経験していないならそれはもう遠い話。まるで日本のこととも感じていなかったかも知れません。関西は行ったこともなかったですし。
しかしそれから倍の年齢になり、いろんな体験や出会いが、言葉や思いが、「どこかで起こった/起こっていること」だけでなく「自分に続いていること」のように考える機会を与えてくれたのだと思います。去年の中越地震のときの、はてなでの義援金の動きですとか、曲がりなりにも参加しようという気持ちは、今だからこそ持つことが出来たのだろうと。
それでも実際に経験してしまった方の言葉はそんなのんきな自己満足を吹き飛ばす力があって。まだ自分のことにして考えてるなんてレベルではないことを確認できて。もしかしたらこのことで自分も成長につなげられるだろうか、との思いを。抱いたのでした。

こうしたいくつかの思いをもたらしてくれたことには、はてなでの出会いがとても大きい。そしてその出会いにはまた、ハロプロ好きがすっかり大きな役割を果たしていて(笑)。感謝の日々です。ありがとうございます。

・・・たまにはこんなことも考えるよ、ということで(笑)。結局自分のことですけどね。